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- 二階堂学園創立100周年





学校法人二階堂学園
理事長 石﨑 朔子

学校法人二階堂学園は昨年(2022年)創立100周年を迎えました。創立者二階堂トクヨは大正元年から約2年間にわたりロンドン郊外にあるバーグマン オスターバーグ フィジカル・トレーニング・カレッジで体育、スポーツ、ダンス等を学びました。帰国してのち、自らの学んだヨーロッパの新しい体育思想と方法論を推進しようと、私財を投じて日本女子体育大学の前身である「二階堂体操塾」を創設しました。体操塾の卒業生の一人である人見絹枝女史は1928年アムステルダム・オリンピックで800mメートルの銀メダルに輝き、日本人女性初のメダリストになりました。
大正15年には体操塾は「日本女子体育専門学校」に昇格、昭和25年には「日本女子体育短期大学」となり体育科のほか「保育科」を設けました。その2年前の昭和23年には二階堂高等学校(現日本女子体育大学附属二階堂高等学校)を設立、女子教育の育成に力を注いできた歴史ある伝統校であります。
二階堂高等学校は日本女子体育大学の附属高校として体育・スポーツ・ダンスで活躍する選手を数多く輩出してきました。かつてはバトミントンの強豪校として活躍、球技ではバレー、バスケットボールが活躍しました。特にダンス部は文部科学大臣賞を複数回受賞する伝統校であり、新体操部もインターハイ、国体で優勝するなど常に上位校に位置しています。昨年よりダンスコースを設け大学のダンス学科の教員によるダンス教育を行い、7年間のダンス教育に特化した二階堂高校特有の教育を進め、特色ある教育、魅力ある高校を目指しリスタート致しました。
少子高齢化の進む社会で、本学園が魅力ある、かつ必要とされる教育機関としてあり続けることを目標に、今後とも教職員一同努力してまいりたいと存じます。

日本女子体育大学附属二階堂高校
校長 工藤 公彦

学校法人二階堂学園は創立100周年という大きな節目を迎えました。日本女子体育大学の附属校である二階堂高等学校は、1948年4月1日に現在の松原に開校いたしました。開校のきっかけは、戦後の学校教育に位置付けられた体育におけるダンスを指導できる教員の養成を、都内の中学校や教育行政から依頼されたことだったようです。当時は日本女子体育短期大学の前身である、日本女子体育専門学校のダンス教育や体育の指導者に関する養成教育が内外から高く評価されていたことは言うまでもありません。また、1953年ごろから一定の生徒数の確保が可能となり指導者や環境の整備が進展し、高校生ながら短大の芸能祭やダンス発表会などにも参加し実力を発揮したとの記録もあります。その後は、水泳部、陸上競技部、バドミントン部などがインターハイに出場し好成績をあげ、現在はダンス部・新体操部・バレーボール部が伝統を継承しています。
本校の創立者である二階堂清寿は、二階堂体操塾を創立した二階堂トクヨの実弟であり二階堂学園の設立を主導し、理事長として学園を率いました。さらに、二階堂清寿は本校の初代校長として、昭和23年4月から昭和50年3月までの長きにわたり学校の礎を築き発展に尽力されました。創立以来掲げられてきた校訓は「勤労」「感謝」「礼節」です。江戸時代の俳人である松尾芭蕉が門下生の指導の際に用いた、「不易流行」の考え方と同様に校訓は現在まで脈々と受け継がれてきましたが、目指す指導内容はその時々で変化しながら今に至っています。
現在、日本女子体育大学附属二階堂高校は、普通科の5コース制ですが、生徒の夢や多様性に応えグローバル社会に貢献する人材を育むため、令和6年度からはキャリアデザインコース・特別進学コース・ダンスコース・スポーツコースの4コースに再編致します。
創立100周年を迎えた二階堂学園は、これまでの伝統や歴史の重みを尊重しさらに躍動していきます。本校も女子校としての使命を自覚し、教育活動の益々の充実を図って参る所存です。皆様の相変わらずのご指導とご鞭撻を重ねてお願い申し上げます。

二階堂高校の卒業生で、
現在「若桐会」の会長を務めていらっしゃいます廣田博子さんから
当時の貴重なお話を伺いました。